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そのため、商の人々は巫女や神官の占いを通じて帝の声を聞き、予め決まった数の犠牲を捧げることで、災いから逃れようとしていたと考えられる。
犠牲として捧げられるのは当然、他民族人である。狩る側の考えは「帝の求める犠牲を得るのであり、必要な仕事をしている」というものではなかったか。
時代が進み、人はどれだけ進歩したであろうか。自民族(自国民)が災いから逃れるためなら、他民族の犠牲など知ったことでは無いという考えは、およそ3000年後の現在でも当り前の様に存在している。
人は潜在的に「自分(達)だけが助かれば良い」という勝手な理屈を持っている。それでも、この理屈を心のどこかで嫌っていると思いたい。
もしそうであるなら、周が商王朝を倒し、多くの民族がその支配を受け入れたのは単純に「勝者に従った」のでは無く、「本当は嫌悪していながら、流されるしか無かった時代から脱却した」と、この歴史を凄まじい進歩として捉えることが出来る。
武王や太公望は一体何を目指し、何と戦ったのか。理解しようすることは現代でも(現代の人々にこそ)必要だと思う。
あ、ちょっとコメントを書くつもりが…。熱が入ってしまった。今日はここまで。
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